第21回 登喜和 〜小林 宏輔さん〜

 皆様はじめまして。新道の登喜和寿司という寿司屋の3代目、小林宏輔と申します。私の祖父小林寿治が昭和29年に創業し2代目の父登三男と共に日々、魚と握りに奮闘しています。
 さて、昨今「寿司」という食べ物というか「営いのスタイル」が多様化している2012年。回転寿司やスーパーさんの寿司のおかげでより寿司がお茶の間に身近な存在となりました。そんな時代にうちの様な昔ながら寿司屋はどの様に生きて行くべきなのか?いつも考えている訳です。
 そもそも僕達が食べているこの「鮨」には深い深い歴史があります。古くは紀元前5〜3世紀。中国の書物に「鮨」という文字が登場しているのですが、この頃の「鮨」は魚のみを塩蔵した保存食としての鮨であり、僕らが目にするあの鮨が登場するのはさらに後、文政12年(1829年)の頃になります。これが世にいう「江戸前寿司」の起源ですね!
 その江戸前寿司の考案者と言われているのが、ご存知「華屋興兵衛」の興兵鮓!そしてもう一人が「堺屋松五郎」の松之鮨!この2人のどちらかが考え出したと言われているようです。(※本当はもう1人いるのですが…)この時代の名人と呼ばれる方々が互いに切磋琢磨しあい、そして今の「鮨」が創られました。
 それから月日は流れ183年後の2012年。数え切れない点と点が一本の線となり、今僕は寿司を握っていると思って仕事をしています。なんてカッコイイ事をいってはみても齢32年。未熟もいいところ。日々精進してまいりますので、これからもご愛顧のほどよろしくお願いします。

(※登喜和の喜の字は七が森の様な字)

 

店舗情報
住所 新発田市中央町3-7-8
電話番号 0254-22-3356
営業時間 -
定休日 -
商工会議所だより掲載 2012年2月


※情報は掲載時のものです。変更の場合がありますので、電話で確認のうえお出かけください。